担当論、延長戦。

何かいろいろ考えてたのですが、えーと、降りるって表現はどうして降りるなのでしょうか。降りるってことはやっぱり乗ってるのですよね。
担降りって、大きく分けると2パタしか無い気がします。「今のひとが嫌いになった」か「新しく好きなひとが出来た」か。嫌いはともかく、新しく好きなひとが出来た、という表現は適切ではないのかも。担当概念から考えると。「新しく担当、と呼ぶのに相応しいひとが出来た」なのか。でも、嫌いも、嫌いというより「ついていけなくなる」ということも考えられるよな、と最近は思います。常に平行に進んでる訳ではないですからね、自分の向きと先方の向きが違ってたら距離は広がる。だとしたら、やっぱり担当って一対一の契約みたいなモノなのか……。
何かこれ以上、話を掘り下げると重くなりそう。私が降りるとか降りないとか考えてる訳じゃなくって、だ。留学生とか研修生のことについて考えてたら辿り着いたんです。5人を無意識に避けてた留学生担なので。今が違う、ていうのは、やっぱり自分と先方との温度差とか距離感なんだろうなぁ、と思うので、それを留学生のひとにぶつけられても困るんですよね。まあ馬鹿じゃねーの、とは思うし、頭おかしいんじゃ、て100万回くらい思ったけど。でも馬鹿が戻って来るのを受け入れたのは5人なんだよなぁ、そもそも。実は年始のNEWS復活のときに「過去は忘れて6人で仕切り直し」て思ってるひとを見なかったのが羨ましかったりしたのです。居るところには居ると思うのですが。