勝手に今日、絶好調。

何か、今日、脳の調子が良いので*1、あっさり考え事するには良いタイミングじゃないかなぁ、と思って。太閤さんの考察に乗っかりエントリ(id:kt529b:20070929:1191068796)。乗っかりエントリというかマルチアングル的な。

曰く、例えは古いけど「聖子ちゃんは虚像で百恵ちゃんは実像」と。フィクションを生きる聖子ちゃんと、リアルを生きる百恵ちゃん。今のJに還元したら、(まぁ全然私のイメージなんですけど)「虚像≒カツン、実像≒あらし」になるのかな。

マルチアングル、と称したのは他でもなく、太閤さんがこの続きで嵐の実像感について語って下さってるので、私は虚像の方について掘り下げようかと。カツンの虚像っぷりって凄いですよね。このひとたち、いろんなところで「リアル」を歌詞で求めてますからね。どれだけリアリティに欠けるんだよ、という話。一生リアルを手に入れるんだ、と歌っていかねばならない。割とキツいと思う。大好きなんだけどさ、リアフェ。
何が虚像って、KAT-TUNがcartoonに掛かってるから漫画っぽい訳ではないとは思うのですが。でも、初期の頃から「何て世界観?」みたいなオリジナル曲が多いんだよなぁ。ハーブレ*2とかルシエルとかGOLDとか。これはYOU&J辺りでのキャラ分けも大きな要因かもしれませんが。舞台でNEWSとも対決してたし、エイトとも対決してたよなぁ……。最終的に「KAT-TUN→悪ガキっぽい集団」というキャラを成立させてる。根は悪くないんだけど、なアウトロー感っていうか。それが「KAT-TUN」。
ただ、全体的なイメージのKAT-TUNが、「それ*3」だとして、誰1人そーゆーひとが居ないっていうのがポイントかと。6人揃ったところで、沖縄でご飯食べたりしてる分には、そっちの要素は微塵も感じられないんだし。スイッチOFFだったら本当にイマドキの若者だよねー、と。ONにすると振れ幅が凄いんですけれどね。これがいやいや飢え付けられた事務所の戦略だったら本人達もやってらんねー、と思うのかもしれませんが、とりあえず私が見た限りでは「楽しんでスイッチしてる」感覚。例えば着ぐるみでもイイのかもしれないんだけれど。「中にひと入ってるけどイイ?」って。受け手も受け手で「中のひとも大好きだけど着ぐるみも好き」みたいな。太閤さんの言う実像売りって「中にひと、居そうだけど居ないのかなぁ」みたいな感覚だと思うのですが。「中にひとが居る」っていうのは、サンタさんの正体がお父さん、くらい「認めたくないけど認めなきゃいけない事実」だと思うけれど*4、それを「認めなくてもイイじゃん」みたいに思わせるパワーみたいなのかなぁ、と。それが、虚像売りになると、サンタさんがお父さんなら親孝行しておけばプレゼント増えるかもよ、みたいな気分っていうか。諦めじゃなくって開き直りっていうか、2倍楽しめるんじゃない?みたいな。意外と多面性のあるひとに惹かれたりするし。そう考えるとカツン担って消費者志向だよなぁ。エイトと嵐のユニ担とか信者とかの話の辺りでカツン担で純粋にユニ担っていうひとは居ないんじゃないか、と思ったんだけれども。個人のファンでもスイッチのONとOFFを楽しむときに、ONの時って割とユニ担なんだと思う。とりあえず全員揃って無いとスイッチ入れられない訳だし。
余談ですがONの場って基本的にライブだと思ってるのですが、ライブライブ冬コンって言ってるひとが多くて頭が痛いです。出し惜しみするからイイんじゃん、とか思うし。このひとたち点火も早いけど電池切れるの早いんだってば……。揃って歌う場にしても、シングルが年に2〜3枚出れば妥当なペースだと思うので。ええと、CDとかのプロモーション活動が多いと「……売れないのか宣伝乙」とか思うタイプなんですよ。ちょっと飢餓感が有るくらいが丁度良い。他ユニと比較しても年間にツアー1回でアルバム1枚シングル2〜3枚っていうのが基本ペースじゃないかなぁ、と*5。オプションでDVDが出ればラッキー、みたいな。あ、年内にシングルもう1枚出るのは脳内で決定事項です。いや、主題歌か挿入歌とか来るんじゃないかな、と思えば有り得ない話じゃない。

*1:この表現も如何なものか。

*2:HBCは個人的には北海道放送の略です。

*3:アウトローとかモラトリアムとか、大人に対する不信感……と言ったところでメンバー余裕で二十歳超えてる訳ですが。

*4:比喩に対する比喩ってどうなのかと思うけど。

*5:諸々のスケジュールも他ユニとの兼ね合い有りますしね。